入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [29]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 斎藤忠氏(東京大学大正大学教授)の考察 ⑦

「更に、被葬者の副葬品の二本の鉄剣のひとつに、金象嵌による銘文があることが発見され、学界等に大きな衝撃を与えました、恐らく、鏡と帯金具とともに、彼にとっての最も重要な所有品であったものでしょう、銘文には、『乎獲居臣』(ヲワケノ臣)の文字があり、被葬者は、『ヲワケノ臣』その人だったことを思わせます」

「被葬者が所持して、彼の死とともに、その左の脇に、あたかも佩装した如くに置いた鉄剣は、ヲワケノ臣なる人物が、この剣を作らしめた理由を明記しているとともに、この人物の祖先七代の名をつらね、この人物と朝廷との関係をも触れている、朝廷との関係において、祖先以来、代々、杖刀人の首としてつかえ奉り来たって現在に至ることを述べている、しかも、ワカタケル大王が斯鬼宮に在られたとき、天下を佐治したことも豪語しているのです」

「鉄剣の銘文の主人はヲワケノ臣その人である、この銘文が金象嵌されている鉄剣が、稲荷山古墳の主人とみなされる礫槨の床面から発見され、しかもこの被葬者の左脇のそばにに置かれていたのである、稲荷山古墳の主人、礫槨の被葬者は、ワワケノ臣その人でなかったか、この考え方は最も穏健なものといえよう、しかし、われわれは、やはり慎重でなければならない」

「もし、この鉄剣が別な人の所有に移され、この別な人が礫槨に埋葬されていたということも、また、考えられるからである、もっと、考えをたくましくすると、この別の人から、また、他の人にあたえられたという考えも成り立つからである」