入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯名鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [37]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑤

「埼玉古墳群が形成される基盤は在地にあった、すると当然、稲荷山古墳の被葬者は在地豪族となる、辛亥銘鉄剣とともに埋葬された人物も在地の豪族で、銘文の系譜からもヲワケを在地の豪族とする説は採用できない、天下を治めるのを補佐した畿内豪族のヲワケのもとに、杖刀人として上番した埼玉出身の若者の活躍がめざましく、また武蔵の一大勢力に成長した埼玉古墳群一族との絆を強めるという政治的配慮から、ヲワケは辛亥銘鉄剣を下賜したのである」

「しかし、ヲワケは歴代の系譜を刻ませた家宝ともいえる鉄剣を、なぜ、地方豪族に与えたのであろうか」

「ワカタケル大王銘が入った大刀が熊本県江田船山古墳から出土している、銘文には『杖刀人』に対応するかのように『典曹人(てんそうじん)ムリテ』とある、典曹人はたんなる文官ではなく、大王の政務の一機関を統括した畿内の有力豪族で、杖刀人首と同様に大王を補佐した人物である、その人物が銘文の入った大刀を肥後の地方豪族に下賜したと解されている」

「類似する銘文を有する刀剣が東西から出土しているが、この時期に地方豪族が中央の有力豪族と特殊な関係で個々に結びつき、その関係を維持するために有銘刀剣を下賜するという行為が行われたとする白石太一郎の説は支持できる、まさに、稲荷山鉄剣も地方支配の一形態として、中央の有力豪族であるヲワケから武蔵の豪族に下賜されたのであった」