入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [36]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ④

「埼玉古墳群から南へ直線にして4キロ、元荒川の自然堤防上に立地する鴻巣市築道下(ちくみちした)遺跡は、埼玉古墳群形成とほぼ同時に出現した集落である、この遺跡からは、古墳時代後期を中心に平安時代までの住居跡789軒、掘立て柱建物跡238軒などが検出された」

「埼玉古墳群はつぎつぎと大型の前方後円墳を造営していったが、それには膨大な労働力を必要とする、埼玉古墳群の規模からみて、遠隔地からも労働力を徴発できたかもしれないが、古墳の造営には多くは近隣地域の人たちが従事したのだろう、築道下遺跡は埼玉古墳群を支えた集落のひとつだったのである」

「同じ鴻巣市内で、築道下遺跡から少し元荒川を下ったところに生出塚(おいねずか)埴輪窯跡がある、この窯跡は埼玉古墳群の成立とともに開窯され、埼玉古墳群に埴輪を供給した、これまでに40基ほどの窯跡と2軒の工房跡が確認されており、いまのところ東国最大の埴輪窯跡群である、生出塚埴輪窯跡群では6条突帯の円筒埴輪はもとより、8条突帯の円筒埴輪も焼かれていることから、埼玉古墳群には8条突帯の円筒埴輪が存在すると考えていいだろう」

「通常、埴輪の供給は周辺の古墳に限られている、生出塚埴輪窯跡群も周辺の古墳に埴輪を供給しているが、国をこえて供給している点が大きな特徴で、千葉県松戸市法皇塚(ほうおうづか・下総国)古墳と同県市原市山倉1号墳(上総国)でもその製品が出土している、生出塚埴輪窯の埴輪は出来栄えがすばらしく、だれでもが求めるブランド品だったと想定できるが、その流通にはさいたま古墳群の一族が関与していたのである」