入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [35]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ③

「埼玉古墳群周辺地域では、古墳時代前期になると突如遺跡が出現し、畿内や東海地方西部系土器が出土する、たとえば、埼玉古墳群の北西8キロに位置する熊谷市北島遺跡では、古墳時代前期の住居跡がおよそ170軒、方形周溝墓が30基弱、さらに堰や水田や畠の跡も発見され、東海西部系土器や北陸系土器が多数出土している」

「さらに、周辺ではS字状台付甕をともなう遺跡がつぎつぎと発見されている、S字甕は尾張地方の低地部で出現した土器で、これを創り出した人たちは低地の開発を得意としていたようだ、埼玉古墳群周辺の開発にもこの末裔が加わり、広大な沖積地の開発を成功に導いたのだろう」

「埼玉古墳群近くでも、古墳時代前期の遺跡が数多く確認されている、沖積地域では洪水により何度も水をかぶるため遺跡は発見しにくいので、未発見の遺跡がなお多く存在するものと思われる」

「そのなかで古くから注目を集めているのが、埼玉古墳群の西1キロに位置する高畑遺跡で、約幅3メートルの方形区画溝が発見された、遺構の規模全体を明らかにすることはできなかったが、溝は調査区域内で26メートル直進することが確認されている、また、おびただしい量の土器が出土し、下層からは五領式土器とともにS字甕が、上層からは和泉式土器や石製模造品などが出土した」

「調査段階では方形周溝墓と判断したが、各地で豪族の居館が発見されて以降、豪族居館跡の可能性が高いといわれている、土器組成や土器が層位を異にして2時期存在することからも方形周溝墓とは考えにくく、居館跡と考えたほうが合理的である、埼玉古墳群を造営した首長たちの館跡の確認も、埼玉古墳群の研究課題のひとつである」

「埼玉古墳群を形成した集団は、広大な沖積地の開発を成功に導き、古墳時代前期から着々と経済的基盤を築き、5世紀後半にはこうした基盤を背景に、河川交通の要衝でもある埼玉の地を墓域と定め、稲荷山古墳を造営したのである」