2011-04-05 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー40 弥生時代が終わり、古墳時代に入ったのは、3世紀末か4世紀初頭とされていますが、そのころムラの立地が直ちに変わったということではありません 初期の農耕(水稲耕作)がより発展していってかなりの水田ができ、その生産に支えられたムラができます、そのムラには支配者がいて、その者が亡くなって方形周溝墓に葬られました、葬ることを命じた者もまた同様の葬られ方をされました このようなことを繰り返しているうちに4世紀に入りました、本格的に畿内の王権の支配下に入れられるまでは、在来の首長の支配の下にあったのです、ただ、日常使う土器などに少しの変革が見られます、弥生式土器が土師式土器(土師器ーはじき)になったことです 最初の土師器は、南関東地方の編年では、五領式土器と呼ぶ東松山市五領遺跡の土器を標識としています、器台と丸底の土器(壺形土器・坩形ーかんけい土器)が出現することなど、ほぼ全国的に画一化していくことが知られています、その画一化こそ、次に来る統一であり、中央集権化なのです