2011-04-09 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー44 さらに、中央2丁目の吉田茂雄家の屋敷内(提示地図の★印のところ付近)から土器片と思われるものが採集されたということで、試掘調査が行われました、幅60㎝ほどの溝と直径1mの土壙などが確認され、特に土壙内には、ハケ目のある土師器の破片が含まれていました 基盤は、地表から40cmほどの深さで、青黄色土であり、アシの根が入っていた痕跡がありました、土師器はいずれも小破片ですが、五領式土器前後です、付近に集落跡が検出される可能性はここでも極めて高いと考えられます この遺跡は金山(かなやま)遺跡と名ずけられ、平成6年8月再発掘調査が行われ、この時期の遺構、遺物が明らかにされました、同じような条件のところは、蕨市域にはまだ多くあり、いずれ弥生時代以降の集落跡や方形周溝墓、その他の遺構が明らかになってくるものと期待されます