入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー41

五領期の集落跡は、自然堤防上や低地への谷を見下ろす台地上に多く分布しています、すなわち、さいたま市の大久保地区、土合地区、別所・白幡地区、戸田市域などです、土合地区の本杢遺跡では、S字状口縁やひさご型土器といった弥生式土器の延長でない土器や銅鏃の発見がありました、これらは、人々の移動があったということを示唆しています、在来の弥生人が新しい生活を始めたのではないことも示しています

次の和泉式土器になると、遺跡数は減少します、さいたま市域では別所遺跡があり、戸田市域では南原遺跡で住居跡が発見されています、この時期には須恵器が入ってきます、さいたま市白鍬遺跡においては、5世紀代の須恵器壺が発見されています、これは畿内からのもので、白鍬塚山古墳の祭祀に使われたものと考えられます

祭祀と言えば、別所遺跡の竪穴住居跡内で、甑(こしき)セットを住居跡の壁上に据け、その前に高杯などの供献用土器を整然と並べるといった例が明らかになっています

古墳時代後期に入って鬼高式土器を持つ集落跡は、さいたま市の大久保地区、土合地区、別所・白幡・根岸・大谷場地区や戸田市域で発見されています、6、7世紀のものです、このころ、後期古墳と呼ばれる円墳が盛んに築造されました、この周辺に住んだ人々によりそれぞれの地に古墳が築かれていったのです