2011-04-07 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー42 集落の各住居跡内には、カマドを設けているのが特徴です、そして、このカマドで使う土器は、長甕(ながかめ)型土器と甑(こしき)型土器です、甑型土器は、きわめて大きくなり、一家が食するに充分な容器となりました カマドの出現により、人々は、蒸した米を食するのが日常となりました、それ以前の和泉式土器までは、甑はその出土例も少なく、一住居跡一個というわけにはいかず、規模も小さいのです、このことは、通常の米の調理は煮沸であり、ハレの日、すなわち、村をあげて祭るような日に、強飯(こわめしー蒸した米)を作ったと思われます カマドの出現で、食生活も大きく変わりました、その変革期が鬼高期あたりであると言えます 蕨市域でも、ところどころで、自然堤防の跡と思われる微高地があります、古い河川が形づくったものと思われます その微高地は、縄文時代中期あたりに、少しづつ水面上に現れ、弥生時代以降は人が生活できる土地であったと考えられます、水稲耕作が始まった時期からは食住接近の格好の地となったかもしれません、このことは、隣接する戸田市での昭和42年の遺跡発見で証明されたところです