入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー61

7世紀以前に、東国の馬の飼育についての史料はあまりないのですが、「甲斐の黒駒」や「行方の馬」の話が伝えられています、耕地化されていない土地が広がり、地形が比較的平坦であった武蔵国は、古くから各地に牧が設けられ、馬の飼育が行われていました

勅旨牧・官牧・私牧があり、勅旨牧は左右馬寮、官牧は兵部省の所管でした、そして、これら牧のなかで、蕨市周辺に位置していた可能性があるものに、立野牧があります

立野牧は、延喜9年(909年)10月に勅旨牧となり、毎年8月25日に馬15匹を貢進することが定められ、藤原道行が牧の管理者である別当となっています

立野牧の比定地については、都筑郡立野郷(神奈川県横浜市港北区)とする説、東京都府中市から立川市にいたる丘陵地帯にあてる説、児玉郡上里町立野付近とする説、足立郡大牧(さいたま市緑区)にあてる説などがあります

足立郡大牧は、文献上では、南北朝期にまで遡ることができる古い地名です、また、同地に隣接して大間木(さいたま市)という地名があり、こちらは戦国期の文献に見られます、この「大牧」と「大間木」とは明確な区別はなく、どちらも「おおまき」と称していたものと思われます

この一帯は、見沼の低地を東に臨む台地で、牧には好適の地であったと思われます、また、近隣の中尾(さいたま市緑区)には、馬を御神体として祀った駒形神社があり、周辺にも駒場・駒前・駒形などの地名が多く残されており、古代の牧の存在をうかがわせます

これらの牧の経営は、地方政治の乱れとともに在地豪族たちによって押領されていき、これが在地豪族が武士化する有力な要因のひとつとなりました