入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 蕨の歴史ー56

8世紀の中頃から史料に表れてくる人物に、武蔵国足立郡の丈部直不破麻呂(はせつかべのあたいふわまろ)がいます、丈部直氏は、部民の丈部を統率した伴造出身の在地豪族ですが、足立郡に勢力を持つようになった時期については、明らかではありません

しかし、現在の大宮氷川神社の元神主である西角井(にしつのい)家に伝えられている『西角井系図』には、武蔵国造の兄多毛比命(えたもひのみこと)の子孫にあたるとしており、丈部直氏が、氷川神社の祭祀にかかわっていたであろうことは推測できます

天平宝字8年(764年)10月、丈部直不破麻呂は、恵美押勝藤原仲麻呂)の乱の鎮定に貢献したため外従五位下に叙されています

当時の地方豪族には、財物の寄進により律令政府から位階を獲得し、これを利用して私有地の開発などを行うとか、郡司に任命されて律令官人の特権を得るとか、中央政府の中下級官人の地位を得て、その権威を利用して勢力を拡大するといった例が多かったようです

一方、中央政府でも政治の主導権をめぐって緊張と対立が深まり、地方豪族と結ぶことによって、その軍事力を自己の権力基盤としようとする動きが見られました、不破麻呂が中央政界に登場できるようになった背景には、このような政治的動きがあったからなのです

その後、不破麻呂は昇進し続け、神護影雲元年(767年)12月には武蔵宿禰(むさしのすくね)の姓(かばね)を与えられ、武蔵国造に任ぜられています、なお、ここでいう国造は、律令制以前の旧国造とは異なり、一国一員の神祀祭祀を職掌とする国造のことです

次いで、不破麻呂は、同3年8月には、中央官人の位である内位の従五位上に叙せられ、更に宝亀4年(773年)には、左衛士員外佐(さえじいんがいのすけ)として奈良の佐保川の修理に従事するなど、地方豪族としては異例の昇進と活躍を見せています