入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー55

防人制に替わり東国の農民を苦しめたのが、蝦夷征討事業です、蝦夷征討事業の本格的な開始は、斉明天皇4年(658年)の阿部比羅夫の時ですが、8世紀に入るとその事業もかなり進み、和銅5年(712年)には出羽国を置き、まもなく陸奥国多賀城宮城県多賀城市)を築きました

和銅8年には武蔵など6ヵ国の富民1000戸が陸奥国、養老3年(719年)には、東海・東山・北陸3道の民300戸が出羽柵(でわのき)に配属されています

多数の人々が東国から蝦夷経営のために派遣されました、そして、同時に大量の兵員と軍需物資も東国から徴発され、陸奥・出羽へと送られたのです

こうして東国は、蝦夷征討のための兵站基地としての役割を担うことになり、宝亀5年(774年)以降蝦夷の反乱が激化すると、その負担も年々過重なものとなりました

律令政府は、軍事と併行して帰服した蝦夷の生活の安定をはかり、諸国に移住させて課役を免除するなどの懐柔策をとりました、彼らは俘囚(ふしゅう)と呼ばれ、移住先は九州と東国が主体でした

しかし、弘仁2年(811年)に俘囚計帳を作成して賦課するようになると、弘仁5年には出羽、嘉祥元年(848年)には上総、斉衡2年(855年)には陸奥貞観17年(875年)には下総と相次いで俘囚の反乱が発生し、東国の治安が悪化していきました