入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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◇ 足立郡衙と足立氏-13

9世紀以降、関東においては中央から赴任してきた国司が任地に土着する傾向が目立ってきます、彼らは藤原政権から疎外された人々で、地方においてその勢力基盤を確立しようとしたのです、その代表的な例が桓武平氏です

桓武平氏の関東土着は、桓武天皇の曾孫高望王(たかもちおう)が寛平二年(890年)に平の姓を与えられ、上総介として都より下向してきたことに始まります、当時の上総国周辺は、あちこちで俘囚(朝廷に降伏した蝦夷)の反乱が起きており、物部氏永らの蜂起とあいまって、群盗によって混乱していた武蔵国同様、騒然たる状態であったと思われます

このような中にあって、平高望は上総を中心にその勢力を根づかせ、子の国香・良兼・良持らは東国一帯の国司鎮守府将軍となり、その勢力を拡大してゆきます、このように勢力を急速に伸ばすことができたのは、桓武天皇の子孫だということや国司という権力を持っていたこと、そして武力をいち早く身につけ、先に土着した前常陸大椽(だいじょう)源護(みなもとのまもる)と結んだことなどが大きいと思われます

将門は鎮守府将軍良持の子で、下総良豊田郡に住んだとされていますが、後に猿島郡石井(いわい)-茨城県岩井市ーに本拠を移しました、将門は父良持の所領を継いでいましたが、承平五年(935年)、常陸国新治郡の豪族平真樹(まさき)と源護との所領争いに介入して真樹側に付き、源護と姻戚関係にあった叔父の国香らと敵対し、ついに国香と源護の子扶(たすく)らを殺害してしまいます、そしてその後、将門と他の叔父良兼・良正や国香の子貞盛らとの間には紛争が続いていくこととなります