2011-02-07 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 足立郡衙と足立氏-14 承平八年(938年)二月、武蔵国で足立郡司武蔵武芝と武蔵権守興世王(ごんのかみおきよおう)・武蔵介源経基(つねもと)との間に対立が起きました、新任の権守興世王が足立郡に入り、その状態を調査しようとしたところ、足立郡司武蔵武芝に拒絶されてしまったのです その理由は、正任の国守の巡視の前に他の国司が郡内を巡見した例はないというものでしたが、実際には興世王らの目的が郡内の富の収奪にあることを察した武芝が、これを防ごうとしたことによるものでした、この武芝の拒絶に対し、興世王と源経基は兵力をもって足立郡に入り乱暴狼藉を行い、武芝の財物はもちろん、農民の私物をも押収して引きあげました、武芝は一時身を隠していましたが、やがて興世王らに対して私財の返還を要求しました この報に接した将門は、両者の調停をする必要があるとして、私兵を率いて武蔵国に入りました、将門がなぜ武蔵国司と郡司との間の紛争に介入したかは明らかではありません、しかし、そこには自己の権力を利用して在地の富を収奪しようとする国司に抵抗する武芝の立場に、同じ基盤に立つ将門が共感を持ったことが大きく影響していたものと思われます