2011-07-03 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー111 庚暦元年(1379年)、幕府では管領細川頼之と斯波義将との対立が表面化し、義将が新たに管領となりました、(庚暦の政変)、こうした幕府の動揺をみて関東公方足利氏満は、自らが将軍職に就こうとうかがいましたが、関東管領上杉憲春の諫死(かんし)により思い止まりました 応永5年(1398年)に氏満が死去すると、嫡子満兼が関東公方に就任しました、また正式に関東府の管轄下となった陸奥・出羽両国の支配固めのため、翌年満兼弟の満直と満貞を陸奥の篠河(ささがわ)(福島県郡山市)と稲村(福島県須賀川市)に派遣しました(篠河御所・稲村御所) 同年、満兼も父氏満同様将軍職に野心を持ち、大内義弘の反乱(応永の乱)に加担しましたが、関東管領上杉憲定の諫止と義弘の敗死の知らせによって挙兵を思い止まりました、しかし、将軍と関東公方の不和は深刻さを増していきます