入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー110

氏満治政期の康暦2年(1380年)に起こった事件として小山(おやま)氏の反乱があります、この乱は小山義政と宇都宮基綱の所領争いに始まったのですが、氏満と義政の争いに発展しました、氏満は小山氏の祇園城(栃木県小山市)を攻め落としましたが、小山義政・若犬丸父子は反乱と帰服を繰り返し、応永4年(1397年)若犬丸の自殺まで執拗に抵抗を続けました

この反乱の背景には武蔵国太田庄(北埼玉郡南埼玉郡北部一帯と大里郡の一部)の領有権をめぐっての争いがありました、すなわち、足立郡とともに埼玉郡は足利氏の特に重要視した地域で、氏満もここに足場を作ろうとしていましたが、一方の小山氏は建武年間(1334~38年)に獲得していた太田庄の領有権を主張してこれと対立したものでした

小山氏の敗北により太田庄の一部は安保氏や浅羽氏らに恩賞として給与されましたが多くは関東府の所領(御料所)となり、関東公方は武蔵東部への拠点づくりに成功しました、しかし、この結果、武蔵国守護職を持つ上杉氏との間に武蔵支配をめぐり対立を深めていくこととなりました