入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー48

大化の改新」によって任命された国司は、令制の国司とは異なり、その任務は①天皇直轄の人民と国造・伴造(とものみやっこ)支配下の人民の戸籍をつくり、田畝を調査すること、②国司は国にあって罪を裁かず、賄賂を受け取らないこと、③国造・伴造・県主(あがたぬし)・稲置(いなぎ)でない者が、偽って土地の領主権を訴えた場合には、実情をよく調査したうえで報告すること、④武器庫を建てて国や郡の兵器を収蔵すること、ただし、蝦夷と境界を接するものについては、一度収公したうえで改めて貸与することであり、国造の支配権を犯すものでない点が注目されます

従ってここで示された新政府の政策は、従来の国造たちによる支配体制を一挙に廃止するのではなく、彼らが支配する人民を、徐々に新しい国家体制の中に取り込んでいこうとするものでした

次いで大化2年(646年)正月、新政府のの具体的な方針が示されました、それは、私有地・私有民の廃止、国・郡・里などの地方行政組織の確立、戸籍の作製と斑田収受法の実施、租・庸・調その他の統一的な税制の施行などで、天皇を中心とする中央集権的な律令国家体制への出発点というとも言うべき内容でした

そして、大宝2年(702年)の『大宝令』の施行により諸制度がほぼ完成したと思われます、文献にあらわれてくる最初の武蔵国司である引田朝臣祖父(ひきたのあそんおおじ)が任命されるのも、大宝3年7月のことです