入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー49

武蔵国の成立については、史料がなく不明ですが、常陸国の場合『常陸風土記』に、孝徳天皇の時代(645年~654年)に坂東8国の一つとして成立したという伝承があり、前述した武蔵国司の任命時期などを総合すると、武蔵国の成立は、7世紀の中頃から後半にかけてであったと思われます

「改新の詔」に示された新しい地方制度の内容は、養老2年(718年)に編纂された『養老令』によって知ることができます、この制度によると、全国は畿内と東海・東山などの七道に分けられ、それらの中に60余の国が置かれ、その責任者は国司で、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の4等官制がとられていました

国司は中央から派遣され、その任期は6年でした、また、国は大国・上国・中国・下国に分けられており、武蔵国は大国でした、国の中は更に郡と里に分かれます、武蔵国内の郡は叙々に設置されていったようで、天平宝字12年(758年)の新羅郡の設置を最後としています

10世紀に編纂された『延喜式』などによれば、武蔵国には豊島・足立・新座(にいくら)・荏原・埼玉・入間・高麗・比企・横見・大里・男衾(おぶすま)・幡羅(はら)・棒沢(はんざわ)・児玉・賀美(かみ)・那珂・秩父・多麻(たま)・橘樹(たちばな)・都築・久良(くらき)の21郡が置かれていました

郡には、国の場合の国府にあたる群衙(ぐんが)が置かれ、郡司が政務を行っていました、これも大領・少領・主政・主帳の4等官制でした、郡司には旧国造などの在地豪族が多く任命され、任期はなく終身官でした、足立郡の群衙は、初め、現在のさいたま市大宮区付近の郡家郷(ぐうけごう)にあったものと考えられています