入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー47

武蔵地方で国造の地位をめぐる争乱が起きていたころ、大和政権では大陸から伝来した仏教への対応や大王位の継承をめぐり、蘇我・物部といった有力豪族の政権争いが展開されていました

そして、それに勝利した蘇我氏の権力は、大王家をもしのぐものとなっていました、しかし、一方では、中国の制度にならって中央集権的な官僚支配体制を樹立しようとする動きも高まっていました

このような状況のなかで、皇極天皇4年(645年)6月、中大兄皇子中臣鎌足らのクーデターによって蘇我氏は滅ぼされ、天皇制国家を目指す一連の政治改革が行われました、これがいわゆる「大化の改新」です

この政権が最初にてがけたのが、8月に行われた東国国司の任命でした、この時に任命された国司は8名ですが、国の数や地域について諸説があります、しかし、その中に武蔵国が含まれていたという点では一致しており、現在の蕨地域は、この時点で新しい国家体制の中に組み込まれたのでしょう