入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 蕨の歴史ー58

家刀自は、宝亀元年(770年)までは外位の外従五位下に留まっていましたが、同年10月、内位の従五位下に昇進し、延暦2年(783年)には父不破麻呂を越えて正5位下となり、同4年正月には正五位上、5年正月には従四位下となっています

しかし、出身が采女のためか、その職掌は、内侍司(ないしのつかさ)と掃部司(かにもりのつかさ)の次官である掌侍(ないしのじょう)兼典掃(かにもりのすけ)にとどまっています

一方では、家刀自は絶えず天皇に近侍していましたので、不破麻呂はこうした地位にあった家刀自を通じて天皇家との結び付きを持ち、自己の政治的・経済的地位向上をはかったのでしょう

家刀自は延暦6年(787年)4月に没していますが、その弟である武蔵宿穪弟総(おとふさ)が翌年に外従五位下に叙せられ、同14年12月には、父不破麻呂と同様に武蔵国造に任ぜられています

以後、武蔵宿穪氏の動向は史料上から見えなくなりますが、これは家刀自の死によって武蔵宿穪と中央政界の結び付きがなくなったためと、中央政界内部の状況が変化して、地方豪族の進出の道が閉ざされたことによるものと思われます