入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー64

9世紀以降、東国では赴任してきた国司が任地に土着する傾向が目立ってきます、彼らは地方にその勢力基盤を確立しようとしたのです、その代表例が桓武平氏です

桓武平氏の関東土着は、桓武天皇の曾孫高望王(たかもちおう)が、寛平2年(890年)に平氏の姓を与えられ、上総介として赴任してきたことに始まります、高望王上総国を中心に勢力を広げ、その子の国香(くにか)・良兼(よしかね)・良将(よしまさ)・良文らは、鎮守府将軍や関東一帯の国司となりました

彼らがこのように急速に勢力を伸ばすことができたのは、その血筋と国司という権力を持っていたこと、そしていち早く武力をたくわえ、先に土着していた前常陸大掾(さきのひたちのだいじょう)源護(みなもとのまもる)と結んだことが要因となったと思われます

平将門は、鎮守府将軍良将の子であり、彼は摂政藤原忠平の家人となり、検非違使を望んだが果たせず、故郷に帰り、父の遺領である下総国豊田・猿島・相馬のあたりを支配しました

ところが、父の遺領の配分や伯父良兼の娘との結婚問題などから良兼と対立し、さらに源護と争い、婚姻関係から護に味方した叔父の国香を殺害してしまったのです、将門の乱は、このような同族間の私闘から始まったのです