2011-04-18 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 蕨の歴史ー53 これらの貢進物には、荷札として地名や品物の名前・数量などを書いた木簡が付けられ、都へと送られました、そして、現在発掘調査が進んでいる平城京跡からは、こうした木簡が多数出土していますが、その中に、足立郡の郡名と天平7年(735年)11月の年号のある木簡がありました この木簡は、近年注目された長屋王邸のすぐ北側の二条大路の土壙から発見されたもので、足立郡から貢進された蓮の実の荷札として付けられていたものと思われます(この木簡は、足立郡の地名の初見史料です) 労役には、雇役・雑徭・仕丁などがありました、雇役は、政府が農民を雇用して労役に就かせるもので、賃金と食料が支給されました、雑徭は、国司が年間60日以内に限って農民を使役するもので、原則として食料は支給されず期限一杯使役されたので、農民にとっては重い負担となりました、また、仕丁は、50戸に2人の割合で徴発され3年間都で労役を行うもので、食料(米と塩)が支給されるほかは、自分の費用で賄うことになっていました