入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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2008-01-01から1年間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

鳩ケ谷の古を考える 2世紀から3世紀になると、大宮台地には数多くの農耕集落がみられるようになります、大型住居を中心として、数棟から成り立ち、家長を中心にその家族が集住していたようです、この集住が河川や谷に沿って点々とある場合と、いくつかの集…

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鳩ケ谷の古を考える 北島遺跡(埼玉県熊谷市) 堰・灌漑施設・水田跡ほかの遺跡で、東日本有数の弥生集落のようです

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鳩ケ谷の古を考える 熊谷市の池上遺跡では集住する集落があり、小敷田遺跡では住居数軒からなる集落が点在して存在していることが確認されました、そして、これらに後続する弥生中期後半(紀元前1世紀)の北島遺跡では、集落・耕地・灌漑施設がまとまって検…

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鳩ケ谷の古を考える 約2500年前の縄文時代晩期の後半には、鳩ケ谷支台周辺には遺跡が激減し、海岸線が現在の位置とほぼ同じになったとみられ、縄文時代に残された海の跡は湿地帯となってゆきました、縄文文化が衰退したことがうかがわれますが、この頃、…

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鳩ケ谷の古を考える 約4000年前の中期には海岸線が少しずつ後退していき、大宮台地では貝塚が減少しています、しかし、鳩ケ谷支台と荒川を挟んで対岸にある東京都北区の中里貝塚は武蔵野台地の低地性の貝塚で、1996年の発掘で極めて大きな貝塚である…

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鳩ケ谷の古を考える 約7000年前の縄文早期後半になると、大宮台地周辺の低地にも海が侵入してきました、海水の侵入によって形成された海水域は、奥東京湾と呼ばれています、当時住んだ人々が海産物を採って食べ貝殻を捨てた結果、貝塚ができ始めますが、…

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鳩ケ谷の古を考える 約1万3千年前、地球は全体に温暖化し、1万年前には現在とほぼ同じ気候となりました、地質学でいう更新世から完新世への移行に伴う温暖化で、自然環境は大きく変化しました、氷河が溶けて海面が上昇した結果、日本列島は大陸から離れて…

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鳩ケ谷の古を考える 鳩ケ谷市は大宮台地のうちの鳩ケ谷支台とそれに続く低地とからなっています、標高の高いところは20メートル弱で、低地に臨む崖面では10~15メートルです、周辺から台地に刻む小規模な谷が侵入しているため全体としては極めて起伏に…

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鳩ケ谷の古を考える 浦寺遺跡 昭和34年(1959)景山博少年によって、崖面から偶然発見された縦長の流紋岩剥片(図1)は、調整痕や刃こぼれなど刃の部分が3面に認められることから、掻器と削器の両機能を備えたスクレイパーのようです、また他にも、…

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鳩ケ谷の古を考える 浦寺遺跡 今から2万数千年前、富士山を初めとして関東周辺の火山は盛んに噴火して、その火山灰を周辺に降らしていたようですが、その後、一時期火山活動は中絶した時期があったようです、この時期が関東ローム層の中に見られる3層の黒…

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鳩ケ谷の古を考える 荒川・利根川の流路変遷 鳩ケ谷市は西の武蔵野台地と東の下総台地の間に広がる低地の中央部に張り出した岬の先端部から低地にかけての位置にあります 荒川低地と中川低地の名称は、両河川によって形成されたことを意味するものでなく、近…

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鳩ケ谷の古を考える 鳩ケ谷を中心とした埼玉・東京周辺地形図です、古期入間川は想像される流路です

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鳩ケ谷の古を考える 想像される川口、鳩ケ谷地区での大古の入間川の流れです、川といっても現在見られる川とは少し違い、広い湿地帯の中に所々に微高地があり、それらの間をぬうように幅の広いゆったりとした流れがあったのではないかと思われます

蕨市政・中央公民館2階出入り口

中央公民間2階出入り口について 最近、個人的な集まりで蕨市中央公民館を利用して感じたことですが、大ホールとは反対側に位置する中央公民館2階への出入り口が非常に判り難く、行く度に迷ってしまいます、掃除などの仕事をしている年輩の人々に尋ねても、…

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鳩ケ谷の古を考える 鳩ケ谷市の地形地質分類図です、昨日アップした航空写真をよく見ますと、上図の他にもっと古い(弥生時代以前か)河道が市を上下に(坂下町右側部)貫いていたようにもみえます、今後の研究課題かもしれません、いずれにしましても、鳩ケ…

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鳩ケ谷の古を考える 鳩ケ谷の昭和10年頃の航空写真です、大古の大河の流路跡が薄っすらと見られます、鳩ケ谷の歴史はこの大古の河に大きな影響をうけたようです

俳句つくり 余情

”あけぼのの茜の雲に秋立ちぬ” 暑い、暑いと言いつつも少しずつ秋の気配がみえるようです、偶然にも「あ」で始まる言葉の俳句になりました、自分は、余り技巧に走る句は好まないのですが、言葉を選んでいるうちにこれが一番良いようなので決めました ”秋立ち…

俳句つくり 余情

”新涼や耳の穴毛の一二本” すこし涼しくなり、むさ苦しい老人となってはいけないと思い、鏡に顔を映してみたところ、耳の穴から毛が覗いていました、子供の頃、爺さんの耳から毛が出ているのを見て、すごく不思議な気がしましたが、早、自分もその年になって…

俳句つくり 余情

俳句にします ”雲の峰厠(かわや)出づれば土砂の降り” 今年の8月は午後になると、夕立が度々あり、これも地球温暖化の影響なのかとも思っています ”鳴神を引き寄せるかな湯上女” そして、雷が鳴りだしました、鳴神も、まだ、湯上りの女性には弱いようです …

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)の出土土器です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)の出土土器です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)の馬形埴輪、ピット群です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)の全側図、方形周溝墓・堀跡です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)調査状況です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)の位置図です

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戸田の古を考える 上戸田本村遺跡(弥生時代後期後半~中世)

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戸田の古を考える 上戸田本村(ほんむら)遺跡 上戸田本村遺跡は戸田市本町6番にあります、荒川の溢流でつくられた自然堤防の微高地の上にあり、古くから「くまん塚」とよばれた古墳跡の伝えや、昭和53年から平成11年にわたる数度の調査によって弥生時…

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戸田の古を考える 南原遺跡(古墳時代前期~平安時代前半)

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戸田の古を考える 南原遺跡(古墳時代前期~平安時代前半)

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戸田の古を考える 南原遺跡(古墳時代前期~平安時代前半)