入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

鳩ケ谷市は大宮台地のうちの鳩ケ谷支台とそれに続く低地とからなっています、標高の高いところは20メートル弱で、低地に臨む崖面では10~15メートルです、周辺から台地に刻む小規模な谷が侵入しているため全体としては極めて起伏にとんだ地形となっています、鳩ケ谷の名についても台地末端部の”谷津”の地形からおこったとの説もあります

この地域での人々の生活は先史時代、縄文時代に狩猟、漁労を中心として、台地の上や周辺で始まり、そして、それを刻む谷間に移り、その後、古期入間川の後背湿地を開拓し、稲作を始めたようです

中世には淵江領用水、見沼用水、平柳用水などが開削され、荒地を水田として開発しました、鳩ケ谷市域は元禄期(1688~1704)に平柳領上新田村が弥平衛新田から分村し、鳩ケ谷町、浦寺村、里村、辻村、中居村、小淵村、前田村の1町7ヵ村が確定しました、その後、明治維新を過ぎて、1877年(明治10年)7月中居村・小淵村・上新田村が合併して三ッ和村となりました、1889年4月鳩ケ谷町と浦寺村が合併し鳩ケ谷町になり、さらに里村・辻村・三ッ和村・前田村が合併して北平柳村となりました、その後、曲折を経て1901年(明治34年)5月鳩ケ谷町と北平柳村の合併となり、現在の鳩ケ谷市域が確定しました、1940年(昭和15年)4月戦時体制強化の一環として川口市に合併したものの、1950年11月に分離し、1967年(昭和42年)3月に市制が施行されました