入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

約4000年前の中期には海岸線が少しずつ後退していき、大宮台地では貝塚が減少しています、しかし、鳩ケ谷支台と荒川を挟んで対岸にある東京都北区の中里貝塚武蔵野台地の低地性の貝塚で、1996年の発掘で極めて大きな貝塚であることが確認されました、この貝塚は当時の海岸で集中的に貝を採り、むき身処理をおこなって干し貝にした加工場でした、生産された干し貝は、内陸の狩猟や植物採取に重点をおいた大規模集落に交易によって供給されたと考えられます

約3500年前の後期になると、下総台地西縁から南西縁を中心に大宮台地でも大規模な貝塚が多数分布するようになります、鳩ケ谷台地でも鳩ケ谷市に接する川口市安行地区を中心に、石神、猿貝、新郷、前野宿、宮合貝塚などがあり晩期前半まで継続しています、この時期の海岸線が鳩ケ谷市周辺にあったことは確かであり、鳩ケ谷支台は砂と泥がいり混じる干潟に囲まれていたと考えられます、また、古期入間川の河口付近でもあり、砂州の発達で川口市江戸袋貝塚のように低地の微高地上で満潮でも海面下にはいらない所にも、生活の場が出来ていたことがわかります、同じ低地にある鳩ケ谷市三ッ和遺跡でも、土器片が検出されています

これらの貝塚の貝類は、河口付近にいるヤマトシジミを主体としていますが、ハマグリ・アサリなども見られます、石神貝塚からは、クロダイ・スズキ・サメ・コチ・ボラ・コイのほかにバンドウイルカの骨も出土しています、さいたま市の膝子遺跡や伊奈町伊奈氏屋敷跡遺跡などからは丸木舟と櫂が出土しており、丸木舟を利用して遠浅の内湾、内海まで漕ぎ出して漁撈や採取をおこなったと考えられます、また、石神貝塚の動物はイノシシ・シカが多く、狩猟の比重も大きかったことがわかります、川口市赤山陣屋遺跡からは、数千点に及ぶ膨大な量のトチノミが検出され、水さらし場所と推定される板囲い遺構も発掘調査されています、トトノミやドングリを食用にするため、渋抜きした加工場とみられています

鳩ケ谷字後谷第2遺跡(本町)からは袋状に掘られた土坑が検出されており、トチやドングリなどの貯蔵穴と考えられています、縄文時代の人々は、多種多様な自然と共生しながら、その恵みを巧みに利用していたのでしょう