入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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鳩ケ谷の古を考える

浦寺遺跡

今から2万数千年前、富士山を初めとして関東周辺の火山は盛んに噴火して、その火山灰を周辺に降らしていたようですが、その後、一時期火山活動は中絶した時期があったようです、この時期が関東ローム層の中に見られる3層の黒土層の最上層にあたる立川ローム層のうちの黒土層です、この黒土層は一定期間地表であったことを意味しています、黒土層形成後、再び火山活動が盛んとなり、更にその上に立川ローム層が堆積しています、先土器時代の遺跡は多くが立川ローム層の中から発見されています、浦寺遺跡もこの立川ローム層の下部から発掘され、今からおよそ1万数千年の遺跡のようです

浦寺遺跡は鳩ケ谷市桜町4-2-4(発掘当時、浦寺字大通133)にありました、昭和35年(1960)東京大学考古学研究室によって発掘調査されました、江川渓谷に沿った台地上で、江川低地を一望に収める見晴らしのよい地点です、周囲には同じぐらいの高さの赤山や慈林の台地があり、森があり、江川の清流があって動物がいて、草や木の実など食物に恵まれていたのでしょう、しかし、その後、火山の噴火がまたあり、降る灰のため植物は枯れ、動物も少なくなり、人々は食料が容易に得られなくなり、住み慣れた土地を捨て、水や食料を求めて、どこかに移っていったのでしょう、このことは浦寺に限らず、大宮台地の多くの遺跡に共通のことのようです