入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

2009-01-01から1年間の記事一覧

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 宮脇遺跡・大字東本郷字宮脇872-13他 [1] 調査期間 昭和59年8月20日~9月27日

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡第2次調査・大字赤井字台546-1 [5] 出土陶器類です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡第2次調査・大字赤井字台546-1 [4] 硯・瓦・金属製品の写真です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡第2次調査・大字赤井字台546-1 [3] ◇硯・瓦 (1)は須恵器甕の破片利用の硯です、台形状に打ち欠き面取りをしており、甕の内面を硯面として利用しています、かなり使い込まれており、磨耗が激しく、檫痕がいたるところに…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡第2次調査・大字赤井字台546-1 [2] この調査は東京電力の送電線鉄塔の建替え工事に伴うものです、縄文時代、平安時代の遺構、遺物が検出されました、縄文時代では包含層から小破片が少し出土しただけです 平安時代では、…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡第2次調査・大字赤井字台546-1 [1] 調査期間 昭和59年7~8月

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡・大字赤井字台・第1次調査 [4] 遺跡は大字赤井から東本郷にかけてあり、大宮台地の南端に位置しその最南端の一舌状台地の肩部に立地しています、西方には旧入間川の形成した広大な沖積地帯を見渡すことができます、遺跡の標高…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡・大字赤井字台・第1次調査 [3] 出土石器実測図です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡・大字赤井字台・第1次調査 [2] 出土石器です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 天神山遺跡・大字赤井字台・第1次調査 [1] 調査期間 昭和46年10月3日~10月28日

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [6] 設立当初は中央鉄道として発足し、後に武州鉄道となったようです、路線の計画もいろいろあったようです、一番下の図は赤羽駅への接続予定路線図だと思います 蓮田~岩槻 大正13…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [5]

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [4] 下の写真は路線築造中のものと思われます

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [3] 石器は18点出土しています、尖頭器1点、グラインディングストーン1点、ナイフ形石器1点、石核1点、剥片13点、チップ1点です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [2] 出土石器です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 海道西遺跡・大字石神(海道西)と余話として武州鉄道 [1] 調査期間 1976年2月10日~3月31日 1975年の東北自動車道の拡張工事に伴う調査です、鳩ヶ谷支台の北部にあり、西に芝川の低湿地を望む舌状台地上に位置します、周辺…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 木曽呂・木曽呂北遺跡をめぐる土器の変遷 木曽呂遺跡の7・8号住居址が弥生町式古段階、1・2・3・5・6・7住居址が弥生町式中葉に当たり、木曽呂北遺跡は前野町式の前半に位置つけられます、周辺の遺跡をもってその間隙を埋めるなら…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [11] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 小谷場台遺跡では弥生後期と思われる住居址が2度にわたる発掘調査により26軒検出されています、他に環濠と思われるV…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [10] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂・木曽呂北遺跡の発掘調査によって、弥生時代の集落跡が明らかになりました、この集落は出土遺物から弥生時代後期…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [9] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 室町時代の木曽呂遺跡では溝1条が見られますが、遺物は1点のみで、果たしてこの溝がこの時期のものか疑問が残ります 江戸…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [8] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂遺跡の弥生時代の遺構としては住居址9軒が検出されています、これらは調査区西側にのみ構築され、東側にはありませ…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [7] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂遺跡の調査で確認された遺構・遺物は先土器時代、縄文早期~後期、弥生時代後期、室町~江戸時代のものです 先土器時…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [6] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂遺跡は鳩ヶ谷支台西端の沖積台地崖縁上にあり、芝川によって形成された低湿地部を眼下に望みます、今回の発掘調査に…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [5] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 鎌倉時代では遺構として、井戸1基のみが出土しています、標高的に低い位置にあります、出土遺物は極く少量で詳細は不明です…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [4] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂北遺跡の遺構・遺物は先土器時代、縄文時代早期~晩期、弥生時代後期、鎌倉時代、江戸時代に及んでいます 先土器時代…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [3] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 木曽呂北遺跡は、鳩ヶ谷支台の沖積台地上にあり、芝川より東南方向へ入り込む大きな谷の左岸です、この谷を隔てて対峙する…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [2] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 遺跡の地形は大宮台地南東部に細長く突きだした鳩ヶ谷支台のほぼ中央西縁で、この台地はさまざまな枝状の小支谷下流の芝川…

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [1] 差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先 (市道南浦和越谷線新設に伴う埋蔵文化財発掘調査) 調査期間 昭和63年10月~平成3年3月

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 木曽呂表遺跡・大字木曽呂(表・北) [4] 埋め甕は3号住居址に付設されていたもので、、口径37cmの深鉢の胴下半を切っています、典型的な加曾利EⅠ式土器です

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

川口の古を考える 木曽呂表遺跡・大字木曽呂(表・北) [3]