入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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川口の古を考える

天神山遺跡・大字赤井字台・第1次調査 [4]

遺跡は大字赤井から東本郷にかけてあり、大宮台地の南端に位置しその最南端の一舌状台地の肩部に立地しています、西方には旧入間川の形成した広大な沖積地帯を見渡すことができます、遺跡の標高は約10mで、台地の下の低地には見沼代用水東縁が流れています

遺跡からは縄文時代前期の住居址5軒と、早期から後期の土壙27基が検出されています、さらに住居址の床面を精査中に、ローム層中より礫および石器発見され、2か所の礫群が検出されました、数軒の住居址と土壙を併せもつ小集落が把握されます

遺跡は大宮台地の半島状に突き出た鳩ヶ谷支台の最先端にあたります、従って、縄文海進が最も進んだ縄文時代前期前半期には、眼下は海岸線であったはずです、しかし、本遺跡は縄文時代前期の土器の破片は多数出土しているにもかかわらず貝塚を伴っていません、鳩ヶ谷支台には縄文時代後・晩期の貝塚は数多くみられますが、縄文時代前期の貝塚はありません

鳩ヶ谷支台は縄文時代前期には貝類を捕食できる環境に恵まれていなかったのであろうか、それにもかかわらず天神山遺跡人が居住したのはなぜか、この時期における生業形態やシーズン制の問題とも関連しているのか、大きな疑問となります

あるいは、江戸時代に付近にできた見沼代用水東縁の工事や、その他の土地の切削により貝塚が失われたのか、大きな問題提起となります