入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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川口の古を考える

篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [11]

差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先

小谷場台遺跡では弥生後期と思われる住居址が2度にわたる発掘調査により26軒検出されています、他に環濠と思われるV字状の溝が確認されています、また、中期ではあるが方形周溝墓も検出しています、住居址で特徴的なものは、数軒の住居址が粘土による火皿を有している点で、出土遺物から見ると弥生町式期のものが多いようです

赤井台遺跡では前野町式期最終末と思われる住居址が19軒検出されています、また、木曽呂遺跡では住居址9軒が東西35m南北35mの狭い範囲に構築されています、更に、木曽呂北遺跡では住居址4軒、土坑1基が東西45m南北20mの範囲内に構築されています

これら川口市内の弥生時代後期の遺跡は、東本郷遺跡、赤井台遺跡のような鳩ヶ谷支台最端部にあるもの、七郷神社裏遺跡のような台地東縁、中川低湿地を望む地域、今回の木曽呂遺跡、木曽呂北遺跡のような台地西縁、芝川湿地を望む地域、小谷場台遺跡のような大宮台地でも鳩ヶ谷支台と異なる台地南端、荒川低湿地を望む地域と分布が地域単位で分かれています、こうした分布は共同体の単位と考えられるようです