入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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川口の古を考える

篠谷ッ、木曽呂北、木曽呂遺跡 [2]

差間字篠谷ッ191番地先、木曽呂字北720番地先、木曽呂字北980番地先

遺跡の地形は大宮台地南東部に細長く突きだした鳩ヶ谷支台のほぼ中央西縁で、この台地はさまざまな枝状の小支谷下流の芝川によって作り出された沖積地を眼下に望みます

篠谷ッ、木曽呂北遺跡は見沼低湿地より南東方向に入り込む幅約100mの谷中央、両側に対峙する台地上にあります、篠谷ッ遺跡はこの谷より北東に開ける谷の北側、木曽呂北遺跡はこの谷より南西に延びる谷の北側にあります、 標高はそれぞれ最高点で14.0m、14.3mで、遺跡南側の低地との比高は約7.0mです

木曽呂遺跡は台地西縁崖線上にあり、標高18.7mと市内でも高位置にあります

篠谷ッ遺跡の発掘調査によって確認された遺構・遺物は先土器時代の石器集中箇所1ヶ所、縄文時代の炉穴2基、土坑25基、集石等があります、平安時代の遺構としては住居址が2軒検出されています、遺物は極端に少なく、1号住居址の竃(かまど)付近より坏が5点と2号住居址では蓋の鈕(チュウ・つまみ)が出土したにすぎません

江戸時代は遺構数が最も多く、土坑21基、地下室6基、溝5条が検出されています、時期不明のものとして西側傾斜面部に住居址が検出されています、調査区内で構築された遺構としては最も低い位置にあり、中央やや東側に炉があります、住居址内からの遺物は全くありません