2012-01-12 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-8 蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より 「シャンクレール」の特徴の一つに、バンドによる生演奏がありましたが、当時は出演するバンドとは半年契約が普通でした、「シャンクレール」にはどのようなバンドが出演していたかを『東京日々新聞』掲載の広告からみてみると次のようです 「ヒロカレジャン」・・・昭和10年4月 「東バンド」・・・・・・昭和11年2月 「南里バンド」・・・・・昭和11年3月 「ベンチャン(斉藤広義)バンド・・昭和11年9月 「デックミネ」・・・・・昭和11年12月 「小泉幸雄トリオ」・・・昭和12年3月 「ジョージ伊川とその一行」・・・・昭和12年8月 「東山鈴木バンド」・・・昭和12年8月 いずれも当時は有名な音楽家たちばかりですが、流行歌手でもあったディック・ミネの場合は、バンドメンバーに外人がいたこともあって、その出演料はかなりの高額であったとのことです、また、トランペッターとしても有名な南里文雄は、こののち満州に渡り、大連にあった「ペロケダンスホール」を中心に活躍しています(註27)