入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-15

蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より

これ以後、新しい経営者のもとに「シャンクレール」は、同年7月には千人針を、9月には血染めの日の丸を作製するなど(註40)、当局を意識しての行動をとりましたが、さらなる日中戦争の激化にともない当局側の取締まりがさらに厳しくなったこともあり、昭和13年1月31日付けをもって休業することになり、以後再開することはありませんでした

当時「シャンクレール」で働いていた70余名のダンサーたちのうち、半数は川口の「バル・タバラン」へ移籍し、残りの半数は「転身」したとのことです(註41)

なお、「シャンクレール」廃業に関し県内で営業していたダンスホールの状況をみてみると、「浦和ダンスパレス」は「シャンクレール」が休業した同じ年の7月28日付で廃業届けを出しています(註42)、最後まで残って営業していた「バル・タバラン」も当局側の圧力には勝てず、昭和14年9月9日付で休業することになりました(註43)、この結果、昭和7年に始まった埼玉県内での営業ダンスホールの活動は終了しています

「シャンクレール」とは「朗らかに歌う」という意味だそうですが、何とも響きの良い名前です、誰が名付けたのか、今となってはわかりませんが、赤坂フロリダに出入りしていた著名な作家、学生、外国航路の船員などを想像してしまいます