入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-10

蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より

昭和11年に入ると営業活動が多方面となり、外人芸人の出演(1月29日付など)、国内有名芸能人(ディック・ミネ、リッキー宮川、南里文雄)などの出演(4月19日付、12月19日付など)があり、新たなものとしてダンサーの派遣サービス(7月19日付)やカントリー倶楽部(カントリー遊び)と称して桜草を進呈したり(4月19日付)、楽焼遊び(5月3日付)、バンドやダンサー同行で戸田の笹目に行き、そこで大慰安会と称し「干し取り(掻い掘りのことと思われる)した魚のてんぷらを食べる」(5月10日付)などを行っています

ただ一方では政治的な配慮も怠らず「建国祭オールナイト」(2月10日付)、「躍進日本の生んだ蕨シャンクレール」(3月24日付)などの文書が見られます、それにもかかわらず当局側の取り締まりはいよいよ本格的となり、7月と9月には営業停止処分を受けています(7月11日付ほか)

昭和12年に入ると、新聞広告から見るだけではありますが、前年同様の営業活動を行っていたことがわかります(1月6日付、2月28日付)、しかし当局の取り締まりはより一層厳しくなり、「シャンクレール」側でも広告に「国威宣揚 皇国万歳」(10月17日付)、「皇軍大捿を祝し」(12月24日付)などの言葉を入れています

「シャンクレール」では前年より従業員による不祥事があいついで起きており、それに嫌気した経営者の河野静は、4月に「シャンクレール」の経営権を川口の「バル・タバラン」の経営者富山氏に譲渡しています、4月11日付の広告は、「シャンクレール」が「バル・タバラン」と姉妹ホールになった直後に出たものです、これ以降、以前のような「シャンクレール」単独の広告は見えなくなります

昭和13年に入ると、新聞広告上の「シャンクレール」の名は、1月30日付のものを最後に見えなくなっています