2012-01-13 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-9 蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より 「シャンクレール」が営業していた昭和10年代の効果的な宣伝広告は、新聞が中心でした、「シャンクレール」もかなりの頻度で各種新聞の全国版に広告を掲載したと思われますが、そのなかでも多くの回数を載せたのが、『東京日々新聞』でした(註28)、上に示したのはその中でも特徴的なものです 「シャンクレール」は、昭和10年3月24日に開場しましたが、同年2月23日付から3月23日までは、開場にかかわる広告です、2月23日付のものは、新聞広告上で「シャンクレール」の名が見える最初のものです、3月に入ると、ダンサーやボーイの募集広告が出ています 特にダンスホールの中心であるダンサーの募集には力を入れたらしく、3月9日付の広告では「ダンサー募集、素人可、当方教授、月収百円以上、服装月賦可」とし、又同月23日付では「ダンサー御申込日より働けます、歩七銭、室・食・服便有、東京より収入多」とあるように、部屋や食事などで厚遇することを示して、東京銀座の有楽会館に事務所を設け募集業務を行っています そして同月24日付の広告によれば、午後4時開場、昼の入場料は「ノーテケツ(チケツトなし)」で50銭でした これを機に本格的な営業が始まり、この時の政治動向に配慮しながら、「オールナイト」の実施(4月6日付)、「蛍飛す会」」(6月8日付)、「Xマスオールナイト」(12月24日付)、年末には「オールナイト31日夜 踊り狂って良き年を迎えませう」(12月30日付)などの営業を行っています