2012-01-09 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-5 蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より 昭和10年3月、ようやく開場にこぎつけた「シャンクレール」は、経営者、支配人、事務員、ボーイ、ダンサーなどという組織になっていたと思われます 実質的な経営者である河野静は日本最初の遊園地である花月園を作った平岡廣高の元妻であり、離婚後赤坂溜池で「フロリダダンスホール」を開場、ついで銀座に高級バー「コットン」を開業するなど、商才にたけていた女性であったのでしょう(註22) 当時、経営者はその地に住まなければならないということで、河野静も実際は東京に住んでいましたが、蕨に家(現在の蕨市市民会館のあたり)を借りています 支配人は丹羽正夫といい、経営に精通して慣れていたため河野静が連れてきた人物と思われます、ついでに会計が主であるが事務員がおり、他にダンスホールの中核をなすダンサーがいました ダンサーは東京で募集したこともあって、他のダンスホールからの転身組が大半を占めており、百人近くいたものと思われます(註23)、ボーイは地元蕨からも採用されましたが、ボーイ全体の人数は不明です、これらの人々以外、シャンクレールはダンサーのためにアパートを借りていましたが、そこに管理人がいたことが知られています