入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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”夢まぼろしのような蕨駅前のダンスホール・昭和10年”-6

蕨市立歴史民俗資料館 紀要 第7号より

シャンクレールで使用した諸物品のうち、東京から購入した酒類以外の日用品や食料品などの多くは地元蕨の商店から購入しており、一時的であり限られてもいましたが、地元は特需景気にわいたとのことです、営業開始当時のシャンクレールは

「センスがあって、日本離れしてましたね、天井をいっぱいに飾る花は新鮮な生花、正面はテラスで、その下は大きな池、周りには灯ろうが並び、その明かりを映した池に、ボートが浮かぶ、踊り子も百人以上いて楽しかった」

「都内のダンスホールは夜11時で看板、シャンクレールは零時半までやっていて、東京市内では禁止されていたアルコール類も飲めましたよ、踊り足りない人たちが、銀座から1円の円タクをとばしてやってきた」

「踊り子はイブニングドレス、男性の客はほとんど東京からで、背広姿に帽子は中折れ、夏はカンカン帽がめだった、学生は入場お断りだったが、店内で学生服を脱がせ、背広を貸していましたね」

との元ダンサーの回想にみられるごとく(註24)、非常に注目され、評判となっていました、実際に和服姿の女性が池でボートに乗っている写真が残されていますが、中国と戦争状態であったとは、とても想像できない風景だったようです