入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー102

室町幕府の草創期は、尊氏と弟の直義の間で権限の分割が行われ、御家人との主従制的支配権を尊氏が、公的・領域的な統治権的支配権を直義が握った二頭政治体制がとられました

しかし、こうした権力の分割は分裂の危機をはらむものでした、足利家の執事であった高師直は、貞和4年(1348年)1月に吉野の後村上天皇を追放するなどの功績をあげ、幕府内での勢威を高め、直義との対立を深めていきましたが、やがて両派の対立は武力衝突という形で表面化しました(観応の擾乱ーじょうらん)

翌年閏6月、直義は師直を失脚させましたが、同年8月には師直の巻き返しがり、尊氏が両者の調停に入りました、その結果、師直は執事職に復帰し、直義が行っていた政務は、義詮が上洛して継ぐこととなりました、政治の主導を握った師直は、自派勢力の保全と強化を目指し、鎌倉府の人事の更迭を行いました、鎌倉公方には義詮の後任として弟の光王(基氏)を任命しました

以後は基氏の子孫が代々この職を世襲していきました、関東管領は高重茂から高師冬に、伊豆国守護も上杉憲顕から高一族に改替しました

しかし、その師直も観応元年(1350年)10月、直義による再度のクーデターで追われ、翌年2月、摂津国武庫川兵庫県尼崎市)で上杉能顕らの攻撃を受け、打ち死にしました、また鎌倉府内でも師直派の師冬と直義派の上杉憲顕との争いが表面化し、師冬が攻め滅ぼされています