入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[18]

前述のような想定の場合、「使主」と「小杵」の勢力範囲は北武蔵の中でとらえられ、「小熊」はそのまま上毛野の地とすることができるでしょう、つまり、それらは同一地域内での確執であったと考えられるます

「使主」は「ミカド」の裁断で「国造」となり、「小杵」は殺される、上毛野+北武蔵地域の主である「小熊」を背景に、北武蔵の一首長であった「小杵」はこの地域の首長権獲得をもくろむ、もともと上毛野の地の一角としての北武蔵であるから「小熊」に助けを求めるには当然といえるでしょう

これに対して、やはり北武蔵の一首長である「使主」は本来の筋であるべき「小熊」へは出向かず、これに対抗する「ミカド」の力を借りて首長権をえようとしたのでしょう、「使主」の行動は、「小熊」を制圧しようと考える「ミカド」にとっても好都合であったのでしょう、「ミカド」はこれを以て「小杵」を殺し、北武蔵の地へと進出するきっかけを作ることが出来たのでしょう

さらに、深読みすれば、国家再編を意図した「ミカド」は「使主」一族をその後「国造」として重用し、上毛野から完全に北武蔵を独立させ、自らの息のかかる南武蔵との関係を深めさせ、「武蔵」地域を確立させたのでしょう、つまり、邪魔な上毛野を追いやることで、東国経営を楽にしようと試みたわけでしょう

このように物語を想定すると、殺された「小杵」の出身地は、「横渟」とすることができるかもしれません、殺された首長に代わる首長は、「ミカド」が派遣した官吏だったとも考えられます

そうすると、その他の屯倉は、もともと「ミカド」に対して従順だった南武蔵地域に設置されたと理解されるのではないでしょうか、武蔵といっても、北と南では全く別の地域と考えるべきなのでしょう、これは、多摩川入間川との間に、大きな古墳分布の空白地帯が存在することでも理解されるでしょう