入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [55]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑥

「埼玉古墳群は大人塚(うしずか)古墳を含めると、9基の前方後円墳と大型円墳1基、方墳1基と数多くの中小円墳群から形成されている、埼玉古墳群は武蔵国内で当該期の古墳としては比類のない規模を有し、1箇所に集中して造営されていることから、武蔵国造の墓域といわれている、他の国々では、最高首長の墓は地域を変えて造営される例が多いが、埼玉古墳群は1箇所に代々築かれた点が最大の特徴である」

前方後円墳は一見して主軸を異にする3つのグループが存在することがわかる」

「5世紀末に稲荷山古墳が造営された、この主軸方位Aとし、方位Aの古墳をみていくと、6世紀前半の二子山古墳があり、稲荷山古墳の右側中堤にあわせて二子山古墳の左中堤が築かれている、その後、6世紀中頃から後半にかけて鉄砲山古墳が造営されるが、やはり二子山古墳の右側中堤に合せて鉄砲山古墳の左側中堤が築かれている、方位A系列の古墳は前代の古墳の南に位置し、南東に平行移動して造営されたことがわかる」

「方位Bの古墳は、6世紀前半頃の愛宕山古墳が該当する、その後、6世紀中頃でも早い時期に奥の山古墳が、その両古墳の中間地点に6世紀中頃の遅い段階に瓦塚古墳が造営された」

「方位Cの古墳は、6世紀後半の将軍山古墳で、主軸がもっとも東に振れている、これによって横穴式石室の前庭部を南にとることができた、その後、最後の前方後円墳で横穴式石室が想定される600年頃の中の山古墳が方位Cを採用して造営された」

「方墳の戸場口山古墳はそれまでの古墳とは相違し、方位思想にもとづき南北に主軸をとっている」

「方位A系列の古墳は、①100メートル以上の前方後円墳で、②造り出しと、③張り出しをもつ、鉄砲山古墳の張り出しは確認されていないが、その規模と方位からみて存在する可能性がある、方位B系列は、①73メートル以下の前方後円墳で、②愛宕山古墳以外は造りだしをもつが、③張り出しは存在しない、方位C系列は横穴式石室のグループである」