入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [62]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑬

「張り出しは、方位A系列と方位C系列の古墳に付設された、稲荷山古墳がもっとも張り出しの状態がしっかりしており、将軍山古墳では広い陸橋状になるという変化が認められる」

「別の見方をすれば、将軍山古墳の張り出しは開放的な空間になったといえる、一方、二子山古墳から将軍山古墳への張り出しの形態変化は大きいので、鉄砲山古墳では張り出しは確認されていないが、その中間形態が想定できる」

「埼玉古墳群では、張り出しからは良好な資料は得られていないが、この周辺から土器や人物埴輪、器財埴輪が、稲荷山古墳では餅状の赤彩された土製品が出土していることから、なんらかの祭祀がおこなわれたことは明らかである、また、埼玉古墳群では決まった場所に張り出しがつくられていることから、その方向が古墳の正面だったことがわかる」

「将軍山古墳は横穴式石室なので、本来ならば横穴式石室の開口部つまり墳丘の右側が正面のはずだが、張り出しを逆方向の左に付けるという伝統を受け継いでいる、こうした点を勘案すると、張り出しは重要な役割を担っていたといえる」

「将軍山古墳では張り出しの脇に陸橋が存在する、稲荷山古墳では前方部のコーナーに陸橋が存在し、そこが葬列の通る道と想定した、張り出しも中堤に通じる道と考えることができるが、脇に付く陸橋によって道としての機能は否定され、張り出しは一定の空間を得るために造られたと考えざるを得ない」

「おそらく、造り出しでの飲食供献儀礼が終了した後、張り出しで最後の祭祀がおこなわれたのであろう、瓦塚古墳の埴輪群像や張り出し周辺から人物埴輪などが出土していることから、張り出しにはなんらかの情景を表示するために埴輪群が配列されていたと考えられる、これをもって葬送儀礼一切が終了したのである」

「埼玉古墳群において張り出しは首長権を継承した古墳にのみ付設されていることから、その儀礼は首長権を継承した古墳には欠かせないものだったにちがいない」