入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [56]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑦

「こうした3つの方位系列のうち、方位Aの稲荷山古墳系列と方位Cの将軍山古墳系列が、首長権を継承した古墳であるとする点では異論はないと思うが、問題は丸墓山古墳である」

「丸墓山古墳は円墳として全国一の規模をもつが、墳形では前方後円墳にくらべ1段格が落ちるので首長権は継承しなかったと考えられる、丸墓山古墳の被葬者と勢力が拮抗していた二子山古墳の被葬者が首長権を継承し、古墳群最大規模の古墳を造営したと考えるのが妥当である」

「中の山古墳は79メートルであるが、将軍山古墳につぐ大きさであり、同じ方位Cであることから、その後に首長権を継承したとみてよい、また、戸場口山古墳は1辺40メートルと規模は小さいが主軸を南北にとった方墳であり、終末期古墳の主要なものは方墳であること、また角閃石安山岩を使用してない点は将軍山古墳と同じであることから、その系譜を引いた古墳と考えられる」

「以上のように、方位A系列とC系列の古墳が首長権を継承した古墳とみることができ、仮に稲荷山古墳の造営年代を480年、戸場口山古墳の年代を620年とすると、6世代140年、1世代が23・3年となるので妥当な世代数だと思う」

「一方、方位B系列の古墳は、方位A系列の古墳より南東に配置されることはなく、また方位A系列の古墳が南東にスライドしていくように、丸墓山古墳の南東にスライドしていく、こうした古墳群の動態を観察すると、方位B系列の古墳は丸墓山古墳の系列を引くものと思われる、丸墓山古墳の被葬者はなんらかの理由で前方後円墳を築けなかったが、土量では稲荷山古墳と二子山古墳をこえる大円墳を造営して権勢を誇示した」

「しかし、それを誇示できたのも1代限りであった、その後、丸墓山古墳の系列を引く者も前方後円墳を造営したが、最大でも73メートルであり、瓦塚古墳ないし大人塚古墳で系統は途絶えたことを古墳の配置は物語っている」

「このように埼玉古墳群には2つの系統が存在することから、武蔵国造一族は2系統で構成されていたことが指摘できるのである」