入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [66]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑰

「1辺40メートルの方墳である戸場口山古墳は、埼玉古墳群最後の古墳である、それ以前から畿内では前方後円墳の時代は終わりを告げ、方墳の時代となる」

「7世紀初頭には古墳群の北方3・5キロに112メートルの前方後円墳の小見真観寺古墳が、7世紀中頃には北方2キロに74メートルの円墳で角閃石安山岩の横穴式石室の八幡山古墳が造営されるが、埼玉古墳群での造営はすでに終了していた」

「埼玉古墳群は1箇所に国造歴代の墓を築いた点が大きな特徴で、他の国々とは異なり国造一族に権力が集中していた、さらに、造り出しや張り出しをもつことから、大王との深い関係が認められた」

「しかし、律令社会を目指す大和政権にとって、長きにわたり強大な権力をもって盤居した武蔵国造一族は、むしろ障害となり解体されたのである」


追伸

2月23日から3月5日まで、次の記事資料整理のため更新を休みます、3月6日より再開いたしますのでよろしくお願いします