2010-02-09 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [53] 埼玉古墳群の全容 ⑯ ◇ 梅塚古墳 丸墓山古墳の東南約70メートル、稲荷山古墳の前方部周濠外堤から南方へ10数メートルにあった直径29メートルの円墳址です、幅2~3・5メートル、深さ地表より約40センチメートルに周濠がめぐり、東西の2箇所が切れて陸橋上に墳丘と接続していました 明治初期には千年木といわれるような梅の木があり、梅塚の名があったようです、梅の木は、明治11年冬に、暴風によって倒され枯れてしまい、近くにあった小祠も洪水で流され、墳丘も平らになってしまったのではないかと思われます 昭和49年から50年にかけての調査の際に、周濠内から人物埴輪、須恵器蓋坏3、土師器坩1、坏2が出土しています ◇ 戸場口山古墳 大正年間の土取りによって消滅しましたが、周濠の確認調査の結果、1辺40メートルで、2重の周濠をもつ方墳であることが判りました、周濠を含めた大きさは83メートルです、周濠は中の山古墳と重複している個所があり、中の山古墳の周濠を切っていることが確かめられました 墳丘の高さは4メートルほどあったという言い伝えがあり、掘り出された石は畳2、3枚分の大きさであったということから、天井石は緑泥片岩であったようです、また、確認調査の際に側壁に使用されたと思われる凝灰質砂岩が出土しています、周濠から出土した須恵器の壺から、築造年代は6世紀末から7世紀初頭と思われます ◇ 小円墳群 埼玉古墳群は大型前方後円墳に目が奪われがちですが、小円墳が40基近く存在します、小円墳はほとんど削平されてしまいましたが、未確認の円墳もまだあるようです、円墳は浅間塚古墳が50メートルと丸墓山古墳の半分の規模ですが、その他は30メートル以内で、小型のものは12メートルほどです これまでに8基の円墳が調査されていますが、人物埴輪をともなうものは少なく、また形象埴輪も少なく、円筒埴輪は2条突帯の42センチ前後の小型のものです、同じ古墳群でも前方後円墳とは大きな相違がみられます これら円墳群は、出土土器から稲荷山古墳が造営された直後の6世紀前半から継続して造営され、被葬者は埼玉古墳群を造営した一族にかかわる者が想定されます、稲荷山古墳以降の古墳時代に限れば、埼玉古墳群内には古墳以外の遺構はまったく存在しないので、墓域として徹底的に管理されていたことがわかります