入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [60]

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑪

「墳丘下に残っていた古墳時代の地表面(旧地表面)をゼロとして周濠の深さを測ると、丸墓山古墳が3メートル前後ともっとも深く、他の古墳は平均1・5メートル前後で、鉄砲山古墳は1・2メートルともっとも浅い、各古墳ともに周濠の底の土で珪藻(藻の1種)分析をしており、花粉分析の結果とあわせると、周濠の底は沼地的景観であったことが想定できる、周濠には絶えず水が溜まっていたのである、埼玉古墳群は関東造盆地運動によって沈下した洪積台地上に形成されているが、一定以上の深さに達すると湧水したのである」

「丸墓山古墳の周濠は一重だが、3メートルもの深さがあるので、土を確保するため湧水にもめげず深く掘った、だが、それでも土は不足する、稲荷山古墳は周濠の掘削土で足りたと考えていいだろう、しかし、他の古墳は周濠の掘削土だけで墳丘は築けなったとみてよい」

「稲荷山古墳の周濠の土量は3万5513立方メートルなのに対し、墳丘長で18メートル長い二子山古墳の土量は3万8992立方メートルで、その差は約3500立方メートルである、つまり、最初に築かれた稲荷山古墳のみが十分広い墓域が確保できたのである、しかし、最初に造営された稲荷山古墳が周濠の掘削土で十分なら長方形にする必要もない、あまった土は周濠帯などにも使い偉容を整えたとも考えられるが、他の古墳とは様相を異にすることだけは明らかである、さらに、謎は深まる」

「だが、各古墳の旧地表面と周辺の現地表面を比較すると、旧地表面が全体に低いことがわかる、この現象は掘削土だけで足りないので、周辺を削平して補ったことにほかならない、現地表面が旧地表より低い主要因は、古墳群の造営による土取りだったのである」

「周濠を深く掘れないとなると、横に広げるしか方法はなく、盾形より土量が確保できる長方形にし、さらに周濠を2重にしたのである、長方形の周濠は土を確保するために必要な方策だったのである」

「しかし、同じ幅と深さなら、2重にするより1重周濠のほうが中堤を設ける必要がないので、その分だけ土量を確保できるので得策であるが、1重の周濠は丸墓山古墳と奥の山古墳だけである、つまり、2重周濠の採用は単に土量の問題だけではなかったのである」

「長方形の2重周濠をめぐらすことによって、①土量をより多く確保し、②広大な墓域、外界と隔絶した荘厳な世界を創り出し、③さらに、とくに重要な中堤張り出しをつくることができ、大王級のみに許された埴輪祭祀を、また張り出しをもたない古墳でも中堤において埴輪祭祀をおこなうことができる、という3重の効果を生み出したのである」