2010-02-10 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [54] 埼玉古墳群の全容 ⑰ ◇ 大人塚(うしづか)古墳 明治16年陸軍省作成のフランス式彩色地図をみると、奥の山古墳の西北西440メートルの地点に古墳のマークがあります、また、1930年の地籍図をみると、その地点に埼玉古墳群と同じ方向の前方後円墳状の区割りがあります、この古墳が、1913年に破壊された際に埴輪が出土したと伝えられ、1935年、柴田常恵らによる古墳群調査で古墳跡として確認された「大人塚(うしづか)古墳」です、周辺には小円墳が存在し、この範囲も埼玉古墳群ととらえることができます、古墳の占地する場所や主軸方向からみて、小型ないし中型の前方後円墳であったことが想像できます ◇ 前玉(さきたま)神社古墳 鉄砲山古墳の東南方に前玉(さきたま)神社を祀る直径50メートルの円墳があります、前玉神社は延喜式神名帳に見え、平安時代にはすでに存在していたようです、ただ、何時から古墳の上に神社が祀られるようになったのかは不明です、丸墓山古墳のような超大型の円墳を別格とすれば、この古墳のように直径50メートルの円墳は、大型のグループに含めてよいと思われます