2010-02-08 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [52] 埼玉古墳群の全容 ⑮ ◇ 中の山古墳ー2 この古墳の特徴は、底部を穿孔した須恵質埴輪壺と須恵質朝顔形円筒が出土しているとこです、須恵質埴輪壺の産地は寄居町末野窯跡群であることが判明していますが、一部の須恵質朝顔形円筒の胎土には、比企地方の製品にみられる白色針状物質が入っていることから、これらは比企地方で焼かれた可能性も指摘されています、古墳の造営時期にはすでに埴輪生産は終了しているので、釜場でその代替品を焼いたのであろうとも思われます 須恵器の年代が6世紀末から7世紀初頭であり、将軍山古墳より後出であることから横穴式古墳と判断して間違いないでしょう、別名「唐櫃山」(かろとうやま)と呼ばれていますが、長方形の「唐櫃」(からびつ)は横穴式石室に似ていることからでしょう 大正7年頃、墳丘の土砂を採取する時に石棺が発見されたが、遺物などはなかったと伝えられています、また、『新編武蔵風土記』では、この古墳から石棺の出土を伝え、「九尺程の野大刀」が発見され、村内の本性寺に納めたと記されていますが、現存はしていません