入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる

<稲作の始まりとつたわり>

ー 各地の稲作遺跡・続 -

稲作渡来民にとって好適な条件をもっていた地域は、日本列島では、北九州、有明海沿岸、岡山県の児島湾に接する地域、大阪府にあった河内潟、島根半島地域がみとめられています

島根半島の古浦遺跡は山口県の土井が浜、良母浜、仲ノ浜などと同じように、弥生前期の集団墓地として知られています、この遺跡は島根半島の中央部の断崖が連なる海岸線のなかで、わずかに山地が切れて、海岸に低地ができ、そこに砂丘ができたところです

そこからは多数の人骨が出土し、それらは面長で、鼻根部あたりの扁平性の強い鋏状咬合(上下の歯列がハサミのように噛み合う形)、高顔、高身長の特徴があります、また、稲作渡来民の集落、その祭祀などの遺跡が出土しています、穴道湖に通じる川もすぐ横にあり、砂丘の後背部には小さな潟があったようです(「出雲国風土記」に恵曇陂-エトモノツツミーと記録されている)、付近には標高300メートル以上の山がいくつかあり、そこから流れる川から安定した灌漑水が得られたようです

この付近には約30あまりの遺跡がり、砂丘から東2キロメートルほどのところには佐太講武貝塚があり、縄文時代から古墳時代にいたる遺物が出土し、低湿部では朝鮮半島からの影響を示す土器も出土しています、稗田遺跡からは農具、木製品、船材などが出土し、集団墓地である古浦遺跡に対する集落跡とみられています、そこから山よりの志谷奥遺跡から銅鐸2個と銅剣6本が出土し、祭祀の跡とみられています、北講武氏元遺跡からは遠賀川系土器が出土し、灌漑用水路の跡があって初期水田集落とみられています、堀部第1遺跡はこの集落の集団墓地と考えられ、約60基の墓は土壙内に木棺を組み上に標石を置いたものであり、ここからは、朝鮮半島西岸の松菊里遺跡系の土器が出土しています、このように、この遺跡群からは渡来民の人類学的特徴がわかり、また彼らが朝鮮半島と同じ様式の土器を用い、水田耕作をしていたことがわかります