入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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伊興遺跡補習ー7

◎伊興遺跡の調査位置(ⅲ)

調査の結果、公園地点近くのBーd-5区から7区にかけて、多くの遺構の存在が認められ、北に傾斜を示しつつも黄褐色土(Ⅴ層)の堆積する自然堤防上であることが確認されました、おそらく集落跡の北縁に相当した地点であったのでしょう、これに対してB-d-8区東側の22~26グリッドからB-d-9区No.5試掘坑にかけては低地帯であり、低地帯は毛長川に臨む内湾状にえぐり込んでいることも明らかとなりました

B-d-5~7区における遺構群の発見は、狭間地区に形成された集落と関係すると考えられ、古墳~近世に至るさまざまな遺構・遺物を確認しています、例えば、B-d-7区6G-4号土坑から出土した壺はおそらく伊興遺跡でも最古の遺物であると考えられ、周辺に弥生~古墳時代の小集落が点在した様相を彷彿させます

続いて中期に至ると、遺構数は爆発的に増加し、狭間地区南縁のC-a-1区と共に、伊興遺跡が当時、狭間地区を中心に展開したらしいことを明らかにしました、しかし、この傾向も長く続かず、後期中葉以降になると、遺構数はだんだんに減少しています

同じB-d区でも、これと対照的なありかたを示すのがB-d-8~9区です、特に井戸枠をそのまま残存させたB-d-8区20G-1号井戸の発見は、狭間地区にこの時期の集落の存在を推測させ、古墳時代以降も周辺集落の中心的な役割を担っていたことを想像させます

また、低地帯より多数の墨書土器を含む、斎串・木簡等の発見は、この付近が奈良・平安時代の祭祀場であった可能性を想像させます、しかも墨書土器の内容から、単なる祭祀場ではなく、低地帯と南面した自然堤防とには官衙もしくは、それに類した遺構の存在も予想させます

しかし、最も関心を集めたのは、同じく低地帯より発見された5世紀前半の朝鮮半島系陶質土器の発見です、土器はB-d-8・9区に点在して確認されています、古式須恵器が多数出土したことから著名となった伊興遺跡にこの新たな発見が加わったことにより、毛長川流域の中心遺跡としてばかりではなく、東京東部低地における伊興遺跡の重要性がより鮮明になりました