入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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伊興遺跡補習ー6

◎伊興遺跡の調査位置(ⅱ)

公園調査とほぼ同時に行われた調査が、下水道敷設工事に伴う調査です、1987年から実施された下水道敷設のための試掘調査は、点的なものとはいえ、伊興遺跡で初めて行われた広域的調査であり、南半の「東伊興小学校」周辺、五庵地区にまで及ぶ調査となりました、196ヶ所もの試掘坑が掘られました

この調査によって、遺跡として登録されてはいましたが、従来あまり知られていなかった「聖堂」・「東伊興小学校」周辺・五庵地区が明確となり、密度の濃淡こそあれ、狭間地区と同様に、遺構・遺物の分布する様相が明らかとなりました、しかもこれらの遺構・遺物は狭間地区に比し、新しい様相をもつことも明らかになり、伊興遺跡の形成を考える上で極めて重要な調査となりました

この試掘調査をもとにして、1989年より、下水道関連の発掘調査が本格化しました、道路下の調査であり、遺跡を線的に掘削する調査であったため、全体の解明にはほど遠いですが、伊興遺跡の構造をほぼ明らかにする調査となりました、調査は1995年1月まで行い、遺跡全体で計48の調査区域となりました

図は古墳時代中期と奈良・平安時代の遺構・遺物の分布を示していますが、前者は狭間・谷下・聖堂を中心に、後者は五庵地区が加わったことにより、遺跡が少しずつ南下する様相を示しています、ただ、例外的に狭間地区B-d-8区で平安時代初期までの遺構・遺物が認められます

伊興遺跡の正式名称は、谷下・狭間・伊興遺跡でありますが、新たに奈良・平安時代に「五庵」地区が加わることになり、伊興遺跡とは伊興周辺に発達した、小自然堤防上に存在した小遺跡の集合体からなる遺跡であることが明らかとなりました、しかも、その後中世に至ると五庵地区に伊興経塚が存在することからも理解されるように、分布域はさらに南下する様相を示しています