入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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伊興遺跡補習ー3

◎伊興遺跡古環境(弥生時代終末期~古墳時代

弥生時代終末期と古墳時代前期初頭の明確な区分が困難になった現在では、弥生時代に属する可能性が高いのは、山内清男氏発見の篦(へら)書絵画を有する弥生式土器のみです、さらに弥生時代終末期~古墳時代前期初頭の遺物をみても少なく、遺構についてもこの時期の遺物を出すものは数基です

今のところ伊興遺跡最古の遺構とされているB-d-7区6G-4号土坑は、井戸跡と考えられています、この4号土坑の掘り込みレベルは標高2mです、井戸跡であるとすると、この地点は乾いた土地であり、この近くで水を常時安定して必要とした活動つまり集落が形成されていたと思われます、おそらく集落は現在「寺町」を形成し、これまで発掘調査の機会に恵まれなかったB-d-7区の南側で広い微高地高位面をもつ狭間地区に存在し、微高地の縁のやや低い部分に井戸を掘ったものと推定されます

また、同様に井戸跡と推定されているB-d-8区2G-1号土坑の掘り込みレベルは約2.5mであり底面の標高が0.8mであり、この付近の地下水は1m以上であったと考えられます、微高地を取りまく低地は標高約1m前後まで水につかり谷を形成していたと推定されます

古墳時代前期には遺構の存在がはっきりしてきます、焼土や炭化物と共に大量の土器などを含む土坑などの遺構が狭間地区・公園地区を中心に存在し、木製の船の形代を含め前期の遺物を集中的に包含し出土したB-i-2区などがあり、毛長川の旧河道(低地低位面)に近い北辺に遺構・遺物のまとまりが認められます、古くより指摘されている水の恵みと暴威に関わる祭祀を含んでいると推定されます

さらに、古墳時代中期・後期には多くの古式須恵器に加えて、朝鮮半島系土器が出土するなど東日本の中でも特異な祭祀の性格をもった遺跡として発展したようです

このように人間活動が活発であった古墳時代には、微高地間の谷は洪水などの影響は受けるものの、比較的安定した環境が継続していたことが推定されます、毛長川が旧入間川であったと考えられていますが、この時期にはその河川作用の影響は及ばなくなっています、古墳時代以前には河道は別の場所に移動していたとみられます、このような土地的条件の変化は、遺跡の立地と深く関係している可能性があります

この時期には既に遺跡内に谷が形成されており、微高地と谷(低地)の地形環境が成立しています、谷内は比較的安定した沼沢地ないし池沼の水域が広がり、ある程度水深のある水域であったようです、この谷は埋積の進行に伴い、浅い富栄養沼沢地のような状態へ変化していき、浮葉植物の種類は姿を消していったとみられます、また、この時期には既に集水域において稲作が行われていたことが示唆されます、出土木製品にも鋤・鍬などの農耕の存在を示唆する木製品が認められていることもこのことを指示しています