入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

鳩ヶ谷地域の変遷-7

鳩ヶ谷地域の稲作は古期入間川の後背湿地や台地の周辺部で始まりました、その後、淵江領用水、見沼用水、平柳領用水などが開削され、荒地を水田にして生産量の拡大が計られました、市域の新田開発は比較的早く始まり、元禄期(1688~1704年頃)に平柳領上新田村が弥兵衛新田(川口)から分村し、ここに現在の市域である鳩ヶ谷町・浦寺村・里村・辻村・中居村・小淵村・前田村の1町7ヵ村が確定しました

1874年(明治7年)の「武蔵国郡村誌」によれば、市域全体の畑は田を上回っています、鳩ヶ谷町と浦寺村の台地はもちろん、低地の辻村、小渕村でも畑の方が多かったようです、この他、山野は鳩ヶ谷町、里村、辻村にあると記録されています

7-1図、7-2図で判りますが、その後、水田の拡大が図られ、1907年には田と畑の面積は逆転しました、また、辻・中居・小淵・前田には沼田・西沼・細沼などの小字があるように湿地帯が広がり、こうした所では蓮田、クワイ田が作られました

「郡村誌」には中居村・前田村・辻村で女子を中心にした紡織が行われ、里村、小淵村では木綿帯地、木綿青縞などが生業としてあげられています、また、中居村、上新田村では綿が栽培されていました、鳩ヶ谷の綿織物は農閑余業としてはじまり、蕨・塚越村から高機が導入され、買継商を通して手織機で家内工業的に賃織りが行われるようになりました

この他に、鳩ヶ谷市域の低地の地場産業として釣り竿作りがあります、芝川流域の河川敷に原料となる布袋竹がり、天命年間(1781~88)に川口の旧青木村を中心に製作されるようになりました、1960年代(昭和30年)には鳩ヶ谷でも60~70軒ほどの業者がありましたが、現在ではかなり減少しています